阿弥陀如来より金剛の信心をいただくと、その信心(本願)に相応して
一念に喜びのこころにつつまれます。
そのあと、韋提希夫人(その子供である阿闍世は悪人の提婆にそそのかされて
怒りの王子となり、父である王様を殺し母である韋提希を牢屋にいれる。
苦しみの中にいた韋提希は、お釈迦さまの説かれた『観無量寿経』を聞き
救われる。)と等しい救い(三忍)を獲ることができます。
三忍とは、喜忍・悟忍・信忍です。忍とは、こころの落ち着きどころという
意味です。つまり一念の信心をいただくと、そのことを喜び、仏の智恵を
さとり、本願を聞き信じることが、自らのこころに備わるということです。
それはそのまま、法性すなわち仏のさとりの世界(浄土=安楽国)に生まれる
証しであり、その安心・安らぎの中で力強く生きていけるのです。
親鸞聖人はこのように、善導大師からお釈迦さまの正意は阿弥陀如来から
たまわる信心ひとつであることをお受けになり、それを喜ばれておられるのです。