能(よ)く一念喜愛(いちねんきあい)の心を発すれば、
煩悩を断ぜずして涅槃(ねはん)を得るなり。

それでは、信心を得るとどうなるのでしょうか。
この句以下十六句には、信心の利益(りやく)が説かれます。

一念喜愛の心とは、阿弥陀如来の願いが、私にとどいた瞬間に湧いてくる
喜びの心のことで、すなわち他力(如来)の信心をあらわします。

他力の信心をいただいたとき、煩悩をなくさなくても(断ぜずして)涅槃の悟り
を得させていただくのです。

煩悩とは、人間の心身を悩まし乱すもので、その根本は三毒の煩悩、
くわしくは貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)といわれています。
貪欲はむさぼりの心で、自分のほしいものは何でも手に入れようとする心
です。瞋恚とはいかりの心です。自分に都合が悪いとすぐ腹を立てるのが
私です。そのように自己中心的にしか生きられない自分の姿に全く気づく
ことができないおろかな心を愚痴といいます。

この煩悩が涅槃(さとり)に転じるのは、もちろんお浄土においてですが、
成等覚証大涅槃のところでも述べましたように、信心を得ると、煩悩のままで
正定聚の位につくことができます。

我欲をつのり、煩悩をおこして自他ともに傷つけていく愚痴の心は、私の中に
生き続けています。それにあきらめ居座るのか。はたまたそのあさましい心を
常にかえりみて、少しでもつつしもうと精進していくのか。正定聚に住す私が
問われているところでもあります。


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