源信(げんしん)、広く一代(いちだい)の教(きょう)を
開きて、ひとえに安養(あんにょう)に帰(き)して、
一切(いっさい)を勧(すす)む。

ここからは、七高僧の第6祖源信和尚の教えです。源信和尚は、942年に
奈良でお生まれになり9歳で出家、比叡山にのぼられました。その後比叡山
横川の恵心院に住んで学問されました。源信和尚が、恵心僧都(えしんそうず)
と呼ばれる所以です。

幼少のころからのすぐれた才能で多くの逸話がありますが、特に15歳のとき
その才智ゆえ帝から賞をもらったときの話は有名です。

賞に喜んだ源信僧都は、それを郷里の母親に送りました。しかし、母は
それを受け取らずに「後の世を導く僧とたのみしに、世渡る僧となるぞ
悲しき」と賞に浮かれている源信僧都を戒められたということです。

源信僧都は、そのことがあってから名利を離れ、一層仏道精進された
そうです。

その後、源信僧都は母の死とあい、より浄土願生に目覚められ『往生
要集(おうじょうようしゅう)』3巻を著述されました。そして、76歳横川で亡くな
られました。

『往生要集』は、広く諸経論から往生極楽の要文を集めたものですが、
その釈尊一代仏教の中から、往生への道は念仏しかないと、特に
念仏門を開いていかれました。そして、安養(浄土)に往生して仏の悟りを
ひらく浄土の教えに帰依して、一切の人々にそれをめられたのでした。

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