本願(ほんがん)の大智海(だいちかい)に開入(かいにゅう)
すれば、行者(ぎょうじゃ)正(まさ)しく金剛心(こんごうしん)
を受(う)けしめ、

前回、阿弥陀如来は光明名号の因縁によって、とても仏になることの
できないわたくしを仏の名号「南無阿弥陀仏」を聞く身とさせていただく
ことを述べました。

善導大師は、その阿弥陀如来の本願を、いろいろな水が流れ込んでも
弥陀同体のさとりの一味の潮に溶かし込む大きな智慧の海にたとえられ、
如来の慈悲の深さや智慧の広さをあらわされています。

本願の智慧の海って行くときに、念仏の行者は正しく金剛心
けるのです。

金剛心けるとは、本当のよりどころつまり生きる根幹を持たない
わたくしたちに阿弥陀如来の方からご本願の光が、また智慧の大海
り込んできて決してくずれない金剛信心として授かるということです。

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