惑染(わくぜん)の凡夫、信心発すれば、
生死即涅槃(しょうじそくねはん)なりと
証知(しょうち)せしむ。
必ず無量光明土(むりょうこうみょうど)に至れば、
諸有(しょう)の衆生(しゅじょう)、皆(みな)
普(あまね)く化(け)すといへり。
さて、前回私が浄土に生まれる正しい因は、阿弥陀如来のご本願
を南無阿弥陀仏と聞かせていただくこと、すなわち信心ひとつで
あることを述べました。
どんなに自分の煩悩に惑い染まった私凡夫であっても、ひとたび
信心をいただけば、生死すなわち迷いのこの世界にありながら、
そのまま涅槃すなわち生死を超えた世界がひらける身にさせて
いただくことを知らされます。
そのことは、阿弥陀如来のおはたらきで凡夫である私でも必ず
無量光明土(浄土)に至る往相回向そのままが、諸有の衆生
(闇を迷い続けるすべてのもの)を皆にわたって教化するという
還相回向であることと同じです。
信心のはたらきとは、そのようなものであると曇鸞大師は
おっしゃるのです。