弥陀仏(みだぶつ)の本願(ほんがん)を憶念
(おくねん)すれば、自然(じねん)に即(そく)の
時(とき)、必定(ひつじょう)に入(い)る。
唯(た)だ能(よ)く、常(つね)に如来(にょらい)の
号(みな)を称(しょう)して、大悲弘誓(だいひぐぜい)
の恩(おん)を報(ほう)ずべしといへり。

前回に続き、龍樹菩薩の教えです。

この部分で、親鸞聖人は浄土真宗における「信心正因・称名報恩」
と「現生正定聚」の教えが、龍樹菩薩の教えに源を発していることを
明らかにされています。

阿弥陀如来のおこころ(ご本願)を信心としていただいた(憶念した)
その瞬間(即の時)に、私のはからいではなく、阿弥陀如来の
おはたらきによって(自然によって)、私は必ずお浄土で仏になる身
(現生正定聚)にさせていただけるのです。

(ゆえ)に龍樹菩薩は、常に南無阿弥陀仏(如来の号)とお念仏を
えさせていただき、阿弥陀如来の広大なお慈悲の誓い(大悲弘誓)
のごいていこうとすすめられました。

つまり信心こそが、私の救いの原因(信心正因)であり、それは、報恩の
称名(お念仏)となって私の口からこぼれ出てくる(称名報恩)のです。

こぼれ出てくるお念仏を喜び、毎日の生活が阿弥陀如来の報恩行で
あったといただくところに、正定聚としての私の進む道があります。


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