諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見(とけん)して、
無上殊勝の願を建立し、希有(けう)の大弘誓
(だいぐぜい)を超発(ちょうほつ)せり。
前回、述べましたように法蔵菩薩は、世自在王仏のもと、 いろいろな仏さまの国土(浄土)を覩見(見て回り)して、 無上殊勝願(優れた願い=四十八願)を立てました。 法蔵菩薩の四十八願は、「こうありたい」「こうしたい」といった 単なる希望ではありません。なぜなら、希望であれば 希望に終わってしまうこともあり、衆生(私たち)の救いは 成り立たないからです。 親鸞聖人は、四十八願のうちでも第十八願(18番目の願い)が、 根本の願いであるといわれます。第十八願は、「すべての衆生よ、 私の願いを聞いてお念仏してください。まちがいなく浄土へ生まれ、 仏のさとりをひらく身に育てます。もし一人でもこの救いから もれるものがあるならば、私(法蔵)も仏(阿弥陀如来)には成りません。」 というものです。 つまり、法蔵菩薩の願いは、単なる希望ではなく、力強い誓い (希有の大誓願)なのです。それもご自身の成仏を衆生(この私)の救い にかけておられるのです。 「信心をいただくというのは、法蔵菩薩をいただくことである」と、 ある方に聞かせていただいたことがあります。私の毎日の生活は、 まさに法蔵菩薩が仏(阿弥陀如来)に成るための修行と同じであり、 私の生活のすべてのことが、仏さまのご用になる(つまり、 私は、阿弥陀仏のさとりのお手伝いをさせてもらっているのだ)と 味わわれます。 それは、私が毎日の生活をさせていただく上でのかけがえのない喜び となるのではないでしょうか。