三蔵流支(さんぞうるし)、浄教を授けしかば、仙経を
焚焼(ぼんしょう)して楽邦(らくほう)に帰したまいき。
曇鸞大師は、『大集経(だいじつきょう)』というむずかしいお経の
注釈をされているとき病気になり、その仕事を中止しなければな
らなくなりました。
大師は、仕事を完成させるためには、まず長生きをしなければ
ならないと考えて、道教で有名な陶弘景(とうこうけい)という人に
長生不死の仙術を学び仙経をもらって帰路につきました。
たまたまその途中で、インドから経典翻訳のために中国に来ていた
菩提流支三蔵(ぼだいるしさんぞう)に遇い、長生きの法を聞いてき
たことを誇らしく話されたのでした。
菩提流支は、「あなたは、長い間仏法に出遇ってきておりながら
何を戸惑われているのですか。」と言われて『観無量寿経』を大師に
授けられました。
大師は、あらためて『観無量寿経』を読まれて、仏教には人間の
いのちのあり方や生死を越えた無量寿の教えが説かれていること
に目覚められ、あわてて仙経を焼きすてて阿弥陀仏の浄土(楽邦)
の教えに帰依されたのでした。
私たちは、日ごろから何を一番大切にしているでしょうか。
そのひとつに健康な身体もあると思います。しかし、どんなに身体に
執着しても死は、自ずと訪れます。
日本に仏教を広められました聖徳太子も、お念仏の信心を
お示しくださった親鸞聖人もその身体はおかくれになられましても、
時間を越えたいのちのつながり(無量寿の信心)は、しっかり私たち
に伝え届いています。
曇鸞大師が仙経を焼きすてて浄土の教えに入られたところに
私が何を大切にして生きるべきかを教えられていると感じます。