五劫(ごこう)に之を思惟し摂受(しょうじゅ)す。 法蔵菩薩は、師である世自在王仏のもとにまいられ、仏のお徳を讃歎して、 自らの願いを述べられました。之が阿弥陀如来(法蔵菩薩)の根本の願い (本願:四十八願)です。 そのご本願のお心を親鸞聖人は摂受とお味わいになられました。 「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし(照らし観る) 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」 と、ご和讃にありますように、阿弥陀如来のご本願は、すべてのものを皆 摂(おさ)め取り、自分の中に抱きしめるお心です。 法蔵菩薩は、そのご本願を建てられるまでに、五劫という長い間思案(思惟) されたのです。一劫とは、40里立方の大岩石の表面を3年に1回天女が 羽衣で払い、その石がすり減ってなくなるほどの時間であり、五劫とはその5倍の、 とてつもなく長い時間です。 善導大師が、「一々の誓願は衆生のための故なり」と示されています。 四十八願の一願一願は、私のためにあると言われるのです。法蔵菩薩のご苦労は、 ただこの私を救うためであったと味わわれます。それほどのご苦労の上に生かされ ていた私の姿を知らされるとき、恥ずかしさでいっぱいになります。