安部総理戦後70年談話から

安部総理の戦後70年談話が発表されました。
言いたいことが多いのか焦点がボケ、総理自身が本当に伝えたい柱になるものがないように
感じました。アメリカや中国、韓国への配慮もあることで、自ら言いたいことは言えない
ということはわかりますが、総理自身のアイデンティティの欠如からか、柱がない談話であった
ことを心配します。

昨年の20代〜30代の若い人の討論会(テレビ放送)で、
海外で活躍されている方が一同に、海外でのキャリア(経歴・経験)で必要なものは語学力より
自分を自分たらしめているもの(番組の中で、それは宗教と言われていた)が大切だと
話されていました。そのお話しから、改めて自分のいのちの柱をもつことの大切さを発見するとともに、
それがないことは、将来を開くことが困難になると深く考えさせられました。

総理はその柱を求めてか否か、2年前に深い宗教観もなく靖国神社を参拝しています。 そこにご自身のいのちの柱が果たして見つかったのでしょうか。談話の内容が物語っているようです。 70年談話の具体的な内容では、
国内の政治システムはその歯止め足りえなかった

というところでは、先ほどから書いたように総理自身に柱となるものがないので、
責任の所在が明らかでなく、現在も戦前同様、歯止めがない政治システムになっている不安があります。


あの戦争に何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける
宿命を背負わせてはなりません。

総理の言いたいことは何となくわかりますが、これだけではたいへん傲慢(ごうまん)に聞こえます。
この部分こそ、言葉を足して自らや国の柱を述べるべきでした。そこにはやはり浅い宗教理解しか持ち
えていない総理の限界が見えます。


仏教では、我欲(エゴ)に縛られる人間が、慚愧にもとずく謙虚さから調和に転じていく術(すべ)
教えます。『
すべてのものは暴力に脅(おび)えている。すべてのものは死をおそれている。
(
他人を)自分の身にひきあてて、殺してはならない。殺させてはならない。すべてのものは暴力に
脅えている。すべての(生き物)にとって生命は愛(いと)しい。(他人を)自分の身にひきあてて、
殺してはならない。殺させてはならない。(ダンマパダ)


縁さえ整えば、欲を暴力で争う戦争を起こす人間の(それこそ)宿命を忘却することなく子や孫に伝え、
自らのいのちの柱を持つことで、自らのいのちのあり方を謙虚に見据え、お互いが知恵を結集して
『殺さない殺させない』に帰りたいものです。そこにこそ、その先の世代の子供たちへの平和は展開
されていくと思います。

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