疑惑の4点セットから経済至上主義の日本人。
はたまた憲法までを考える。

今回はちょっと長文です。ややこしいかも・・・。

ここ数ヶ月のBSE問題・耐震偽装問題・ライブドア問題・
官製談合問題は、疑惑の
4点セットと呼ばれています。よくよく聞くと、
どれも経済
(人間の欲望としてのお金)がかかわっているようです。

日本の経済は、戦後1950年から高度成長を遂げて、1970年には
必要なモノを買うのではなく、ファッションとして人々はモノを買い、
消費していくことが社会全体を覆ったようです。そのことは
1980年代の
バブルに引き継がれ、人間の欲望を異常なまで発揮して
(たとえば
24時間いつでも欲を満たすコンビニや相手の都合はお構いなしの携帯
電話普及などはこのころです
)、高慢な姿勢からモラルの退廃を招きました。

1990年ごろにバブルがはじけてからもその高慢な姿勢は一向に変わらず、
そのおかしさに気づいた人も安易な自分探しをするためオウム真理教に
代表される新々宗教に飲み込まれていきました
(地下鉄サリン事件1995)
また、そのような社会を拒絶したり否定したりした若者の犯罪が急増している
のもこのころからです
(神戸連続児童殺傷事件1997)

そして、少しずつ経済回復の兆しを見せる2000年代を迎えても50年間の
企業の戦略
(消費社会はつまらないと思わせながら、イヤシとか言って
次の消費を引き出している
)に私たちはのってしまい、自己を問うことはなく
その反省は一向に活かされることなく、今日
4点セットのお金がらみ問題
として表に出てきています。
4点セット問題はまさしく私たち自身の問題でしょう。
なんと愚かなことでしょうか。

同時に、それらの消費社会のあり方や企業戦略に眼を向けようとはせずに、
モラル低下を心配する政府は、憲法まで変えて戦前の規範意識が大切だと
「愛国心」教育をしようと躍起になっています。いくら個人の意識を変えよう
としても、全体の動き・型を見る眼を養わなければ、結局のところ消費経済論理
に誘導されて、その中で私たちはあくせくすることに留まるのではないでしょうか。

いつまでたってもお金が生きる目的になっている日本人の価値観は変わらない
ようです。きっと「愛国心」さえもお金で買う時代になることでしょう。いやもうそうなって
いるようです。海外進出している企業を守るために軍隊を海外に出せるように
憲法
9条を変えようと強く要求しているのは経済界だそうですから。

このように時代に引きずられてきた現代の日本人の根強い価値観を超えて
いけるのは、仏法しかないでしょう。

今こそ真実の教えが発揮されなければならないときだと思います。
仏教は個人の自立と連帯を目指します。つまり自己を振り返ると同時に
全体
(つながり)を見つめる智慧をいただく教えです。

来年は「親鸞聖人流罪800年」、当時の権力から罪をなすられても、
社会のおかしさに妥協されず自身の信仰を守られた、その強いお気持ちに
学ぶことは多いです。憲法を変えられてからでは遅いです。学習の機会を広めて
主体的に選んでいくことができるわたくしでありたいと思います。

 読み返したら、何が言いたいのかがよくわからないですね
つまり消費型の日本社会にどっぷりと浸かってしまい、自分の欲を
思いつくまま発揮している日本人の価値観
(輪廻みたいなもの=それは
平和さえ崩そうとしている
)から抜け出す(まさに解脱する)には、
深く広い仏さまの教えしかないとわたくしは思っている、ということでしょうか。

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