JR列車事故に自身をふりかえる
JRの事故からきょうで2週間が経ちました。事故後の職員の行動などに
非難がなされていますが、もし自分だったらどうしていただろうかと考えます。
ボーリングをやめて現場に行けるでしょうか?他人事とは考えずに自分の
こととして受けとめられるでしょうか?私自身の日常生活を振り返っても
難しいことだとよくよく考えさせられます。
JRという会社の体質もさることながら、今回の事故が訴えていることは、
共同体がくずれ、いのちといのちのつながりが希薄になった日本社会全体
ならび日本人ひとり一人の問題でもあるようです。
つながりの中で働く自浄作用(チェック機能)も、共同体の成立していない
今の日本社会では働きません。
ならば、個人個人が自分自身で我が身のおかしさ・弱さを自覚できるかというと、
これはたいへん困難なことでしょう。特に宗教と真剣に向き合っている人が
少ない日本人は、自分を照らす鏡を持ち合わせていません。
自身を振り返る基盤も持たない、注意しあえる共同体(仲間)もない中で
JRを非難することだけがすべてではないような気がしています。
浄土真宗は、阿弥陀如来の本願に暖かく・厳しく照らされ、正定聚という
仲間をいただいた人生を歩む教えです。
今回の事故で改めて自分自身のいのちのあり方を考えさせられましたし、
仏法聴聞の大切さを再認識したところです。
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