「ヤスクニ」 その3 〜 戦争への道に反対


昨年一年間を漢字一文字にあらわすと「虎」になるそうです(日本漢字能力検定協会)。

タイガース優勝の盛り上がりはお祭りのようであったし、「虎」はよくわかります。
ただし日本の歴史をみてもわかるように、政経が窮地になると私たちはどこかで
不満・不安の発散・解消に盛り上がりを求めます。つまり祭りとは一種の陶酔、
窮地の目先を変える逃げ場でもあるのです。

その証拠に漢字第二位が「戦」第三位が「乱」です。本当はこちらの方が私たちにとって
深刻ではなかったのでしょうか。でも私たちはそれを覆い隠し、逃避したいがため「虎」
を選びたいのです。

しかし、本来の不安は一向に解決できていません。21世紀に入って世界はずっと戦争
ばかりです。唯一、平和憲法の下戦争には巻き込まれなかった日本ですが、
自国の決意を世界にアピールしたり、ともに平和への道を協調していく雰囲気を
世界に創って行くことなく、とうとう戦争に加担します。

国際協調や国益のため自衛隊派遣も仕方ないではないか、の声もここ2,3年で多く
なりました。その声に後押しされるかのように、有事関連三法案をはじめテロ特措法、
イラク特措法は、たった2年余りの間に成立しました。専守防衛であったはずの自衛隊
は、殺されるかも殺すかも(小泉首相談)の明らかな軍隊になりました。

日本は一国平和主義で何もしないのではなく、世界に向けて取り組みを進めることが
平和づくりであると私も思いますが、どういう形で国際協調していくのかは
じっくり考えるべきです。国際協調とは、アメリカのデモクラシーで混乱させた中東に
自衛隊を派遣することではないと思います。

上に書いたように、非戦の平和憲法を世界にアピールしたり、アジアの地域協力
を進める主役になったり、イラクで言えば日本と友好関係にある中東でリーダーシップ
を発揮してじっくりと対話し、教育を中心に国連と連携して復興の支援をすすめていく
ことが、国際協調ではないかと考えます。

さらに、自衛隊派遣によって中東諸国の不信感をあおったり、日本人であれイラク人で
あれいのちを失うことになるであろう手立てが、国の利益になるとは到底思えません。
すでに二人の日本人が殺されました。靖国神社は、またもその受け皿になりそうです。
国のためにいのちを捨てることが誇りであると言わされる時代はもうごめんです。

親鸞聖人は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われました。「人身受け難し、
今すでに受く」人として生まれたことに誰もが深い喜びをもてる身になれるはずです。
それを断ち切っていくテロや戦争は許せるものではありません。

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