男女共同参画
先日、2001年10月から施行されたDV(ドメスティック・バイオレンス)
防止法についての講演を聞きました。DVとは、夫や恋人からの暴力
のことです。
総理府の調査('99年)では、「命の危険を感じる暴力を夫から受けた
人」が、20人にひとりという実態です。離婚の申し立て理由の「夫の
暴力」も年間1万2千件あるそうです。このことを考えると、DVは身近で
深刻な問題であることがわかります。
このような実態から、日本人の性に対しての人権意識の確立は、
ほど遠いと言わざるを得ません。
さらに、伝統を重んじ、変化を避けがちな体質をもつ社会構造と共に、
私自身のもつ性差別の意識についても深く考えさせられたことでした。
浄土真宗教団においては全僧侶の3分の1が女性僧侶ではありますが、
それは、戦争による男性住職の出征に対してとられた措置からはじまった
補完的なものです。現在でも人口の高齢化・少子化による補完・補佐的
な立場は変わらず、女性の主体性が発揮できる形にはなっていません。
そのことは、女性住職が2%しかいないことからもわかります。
さらに、本山・教区の宗務所の構成(管理職)や各寺院の門信徒組織(総代)
で活躍する女性も少なく、男女共同参画の取り組みの遅れは顕著です。
さて、仏教経典の思想で女性の立場はどうなっているのでしょうか。
仏教興隆以前のインドの思想に「三従(女性は父・夫・息子に従え)」や
初期仏教に「五障(女性は梵天・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏に成れない)」
の考え方がありました。
大乗仏教のころには、女性が仏に成れないという考え方は後退し、女性
でも男性に転じて仏になるという「変成男子」の思想が成立します。
『仏説無量寿経』の第35願にもそれがあらわれています。それらが
社会や教団における女性蔑視の思想を少なからず支えてきたことは
否めません。
さらに、日本古来の神道的ケガレ観や儒教における家長(男性上位)
意識が、現在の女性差別を正当化していった一要素となったことも
明らかだと思います。
性差別は、DVをはじめ社会のあらゆる所に形としてあらわれてきて
います。その基盤は人権意識の未熟さです。私の現場にも上記の
ような課題が山積みです。教学のこと、寺院組織のことなど自らの
課題としてひとつひとつ点検していくつもりです。
そして、男女共同参画の道を切り開いていけるよう、ご門徒の方々と
論議を深めていきたいと思います。