テロ事件から考える

ニュースでご存じのように、たいへんな事件がおこりました。言葉を
失うような痛ましさです。ここ2、3日間のご法事でも、「なぜこんなこと
がおこるのか?」「宗教は人を殺して良いのか?」などを、ご門徒の
みなさんとお話ししたことです。

テレビやラジオを聴きますと、救助の様子とともに犯人探しのこと
さらには報復をどうするかということにまで進展しています。各国も
声明を出していますが、私自身は何かしっくりきません。

なぜだろうかと考えたとき、みんなそれぞれ国の思惑を語っていて
本当の声になっていない気がします。安全上の問題もあって
できないこともあるのでしょうが、やはり各国の首脳が顔をつき合わせ
て対話をする場が必要ではないかと思います。

小学校のときに、クラスのひとりのペンケースがなくなりました。
そんなとき犯人探しをしますか。見つけて罰を与えて終わるで
しょうか。縁があればだれでもそうしてしまう人間の弱さを語り合うこと
です。そして、その縁に導かない、励まし支え合う雰囲気をクラスに
育てることが大切なのではないでしょうか。

日本なら、まず近隣のアジア諸国で集まって(日本から進んで声かけ
をしてほしいのだが)、対話することからがはじまりではないでしょうか。


それから、宗教による戦争がなぜ起こるのかということですが。
世界宗教と呼ばれる仏教・キリスト教・イスラム教に人を殺して良い
という教えはありません。しかし今日の宗教は、個人のものというより
組織だったものになっています。

個人が集まり教団(組織)ができてくると、教団を守ることが必要に
なってくるのです。そのためには組織どおしが政治的な駆け引きを
していくことになります。ひとつ間違えば変な方向に動いていくこと
にもなるのでしょう。

浄土真宗教団においても例外ではありません。私たち僧侶・門徒は
いつも自分を含めて自省し、組織を点検していくことが必要だと
改めて思います。

2点を中心に書きましたが、まだまだ考えることはたくさんあります。
みなさんもご意見がありましたら、BBSに書き込んでくださいね。

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