コーラン焼却事件について思う
先月、イスラムの聖典であるコーランが焼却された事件がありました。
この事件の後のムスリム(イスラム教徒)の抗議の激しさに、何で?と
思われた人も多いようでした(報道でもそう伝えていました)。
コーランは、モハメッドがアラー神から受けた啓示を編纂したもので、
ムスリムにとっては、老後はコーランを読んで暮らすことが理想と
されるほど大切なものです。それを焼却されることは、いのちのよりどころ
をなくすに等しいことで、抗議があるのは当然のことでしょう。
さて、わたくし達日本人は、それほどのよりどころとなるモノを
もっているでしょうか。押し頂いて開き、閉じて頂く書物(聖典)をもって
いるでしょうか。
子どもの頃わたくしは、書物を床に置きっぱなしにして、よく父から
怒られました。書物は、書く人、印刷する人、綴じる人など多くの人
が関わってつくられているので、足の踏み場に置くモノではないと。
とくに聖典(お経)は、仏の願い・わたしのよりどころが文字として
あらわされているものです。そういうモノに出会ったことを喜び
生きるよりどころとして大切にすることを、わたくしは忘れているなぁと、
今回の事件を通して、改めて考えたことでした。