Yさんからのメール その2

早速のお返事ありがとうございます。
お話は言葉の上で理解できましたが、じっくりと考えて消化するには少し、
時間がかかりそうです。

全く宗教には興味がなく、自分の実家の宗派すら、知らなくて、
母が亡くなった時、初めて、念仏の意味を知りたくなり、
本を読んだり映画をみたり、HPを探したりしました。

兄や夫が、私よりは詳しいので、いろいろ、たずねてみたところ、
やはり、返ってくる答えは私の納得のいく物ではありませんでした。

ただ、おっしゃる通り、母が亡くなってからは、母の言葉や、
考え方というのは、確実に私の中にあるということ、
母との思い出や、優しさは、私にとって、大切な財産になっている
と思います。

生前と違う自分でいるのも確かです。
ただ、死ぬからこそ今を一生懸命生きるということが、
実践できないでいます。

母がいなくなって、やる気がなくなったような。
今までは、母といつかは別れなければいけないときが来るから、
母に尽くそうと思ったけれど、もういなくなって張り合いが
なくなったなあと。

でも、家族や夫がいるから、生きていかなければと、思っているし、
自分で死んだら、浄土で母に会えなくなるのがいやだから、
生きていようなどと考えてしまうのです。
いけない思考だとは思うのですが。

物欲も、人並みにあったけれど、今はなにも欲しくないし、
お金を貯めても仏壇を買おうということしか思いつかなくなって
しまって、自分でも、変だなあとおもっています。

これはどうすればいいのでしょうか?

質問ばかりでごめんなさい。

返事メール

こんばんは、山内です。
メール、ありがとうございます!

>ただ、死ぬからこそ今を一生懸命生きるということが、
>実践できないでいます。

一生懸命生きるとは、はりきって頑張ることではなくて、
いろいろないのちの支え(お母さまの願いも含めて)に依って
生かされている私だったんだなぁと、今今を、一瞬一瞬の生を喜べる
生き方ということです。

そのために、お仏壇はぜひお迎えください。
きっとあなたが自分自身をゆっくり振り返られる場になると思います。
Yさんの言われるように、ゆっくりと時間をかけていいのです。

お仏壇の前でお念仏させていただき、仏さま=お母さまの願いを
聞かせていただきましょう。お母さまとの本当の出会いはそこから
はじまるのではないのでしょうか。

お仏壇では、仏さまを拝むのではなくて、実は仏さまから拝まれていた
(願われていた)私だったのだなぁと、気づかせていただきます。
そのあたたかい世界にふれたとき、Yさんにとってそれは、きっと
生きる力強いエネルギーになることと思います。

お答えになりましたでしょうか。いつでも何度でもご質問ください。
どうぞご無理なさらずに・・・。

後記

私もあれから一杯本を読んで仏教の勉強をしています。
頑固な私は未だ疑問を一杯かかえて、
いますが、仏陀という人を知ることからはじめています。
また、いろいろお伺いしてしまうかもしれませんが、よろしくおねがいまします。

Yさんから先日いただいたメールです。有り難いです。また、ご一緒に勉強させて
いただきます。
コーナー表紙へ
 
Home