仏と日本の神(カミ)

仏さまと神さまは、日本の文化に大きな関わりをもっている割には、
私たちはその違いをはっきりさせていないところがあります。日本人の
理解する神さまを再認識することで、浄土真宗門徒としての私のあり方を振り
返ってみたいと思います。

人間のもつカミ意識は、古来もともとは自然への畏怖に代表される素朴かつ
未熟なものでした。火山の噴火や台風・大雨など人間の力ではどうすること
もできないものを恐れたり、また、それが鎮まり過ぎ去れば安心したのでした。
そのことがたたりを恐れる霊魂思想と結びつき、荒魂(恐れ)を良い魂(安心)
に変えていくために儀礼・まつりごと(お祓い:おはらい)をすることになったのです。

このような自然カミ信仰を、当時の権力者は王権を中心とした政治宗教意識に
組み替えていきます。つまり、国を統一していくための手段としてカミは人格化
されていき、天皇を神とする形をとっていきます。しかし、この形も宗教意識
としては未成熟で、依然として神体は鏡や石などであり、自然カミへの儀礼信仰
のかたちを残していました。

ただし、自然カミが人格化されたことで人間は、カミをただ恐れの対象として
だけではなく人間相互の利益に基づく関係に変えていきました。
具体的にいうと、供物を供えるので願いを実現してほしいという交換条件をつけて
いったわけです。このことで、人間の願望(欲望)の数だけのあらゆる神が創造
されていきました。

このように日本の神の思想は、表面的変遷はあるものの、その中身は教義なき
未成熟の儀礼信仰のまま今日まで引き継がれるのです。

したがってこの思想は人間の価値づくりには制約(拘束)がなく、
なんでも取り込むことができます。それは寛容ではありますが、
宗教的観点から観ると教義がない(交換条件のみ)ので、人間の生き方には
無関心であり、人間性を退廃させる要素をもっていることも確かなのです。

神の思想の中で、人の生き方に関わることをあえて探すならば、人の死に関する
ことです。神道では、人の死は恐れ・けがれ(気枯れ)の対象になり、死霊は荒魂
と見なし、まつる(祓う)ことで良い魂である祖霊となり、さらにまつって(祓って)
祖先神(氏神)になっていくと考えられています。現在でもその思想は皇室では
顕著に残っていて、○○の儀が何日間もつとまるのです。また、気が枯れる
6月と12月に大祓(おおはらえ)という神事を行ってけがれ祓いもしています。

現代社会に当てはめてみると、競争につかれストレスをためた私たちは元気を
なくします。その不安(気枯れ)を、霊がそうさせているのだとして呪術的儀礼
により祓うことを私たちは行い、よりどころのない自分自身の自己確認作業を
しているのではないでしょうか。

さて、仏教も神の思想とともに歩んできた歴史をもっています。平安時代には、
仏が姿を変えてこの世に出現したのが神であるとした「本地垂迹:ほんじすいじゃく」
が説かれ、神仏習合の形をとりました。江戸時代には、キリスト教弾圧のため
幕府は檀家制度を強いて各家庭に仏壇を配置させました。

このころ、各家庭に配置された仏壇の刺激を受けて、神棚ができたそうです。

一転明治になると、檀家制度を廃止して氏子制度を取り入れ、
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)をはじめました。政府は、6年に一回国勢調査をして、
神棚・お札をまつることを強制しました。それはまさに、天皇を現人神とした
神道の国教化政策で、戦争への準備だったことは、誰もが知るところです。

このとき一番それを受容できなかったのが、浄土真宗のご門徒でした。
弥陀一仏であることが生き方の誇りであった真宗門徒は、神さまを敬えという
国の政策にどう対処していったのでしょうか。

そのときに説かれたのが、「真俗二諦(しんぞくにたい)」の教義です。つまり、
生きているときには国に尽くし、死んだら浄土へ往生しよう、とこう教えたのでした。
もちろんこれはまげられた教義であり、親鸞聖人の教えではありません。

当時の国家権力のもと仕方ない面もわかりますが、そうやって、いのち奪う戦争の
一端を浄土真宗教団が担っていた事実は、消せません。このような過ちを二度と
起こさないために、現在基幹運動で「真俗二諦」は問題提起され、私と教団の体質を
改めることが問われています。

戦後、氏子制度は廃止され、日本国憲法のもと、信教の自由や政教分離が確立
された今こそ、改めて浄土真宗門徒としての私のあるべき姿勢をはっきりする必要
があるのではないかと思っています。

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