ガン告知(「死」ということ)について

先日、「ガン患者・家族語らいのつどい」に参加させていた
だきました。元国立ガンセンターの医師、ガンになられた方、
そして、その家族の方のお話をお聞きしました。

そのなかで、特に話題に上がったのは告知についてでした。
現在、夫への告知の迷い、亡き夫へ告知したときの気持ちなど
なまの声を聞かせていただきました。

日本人の平均寿命はのびていますが、ガンは増えていて、3
人にひとりはガンでなくなるそうです。ガンセンターの先生が
実施されたアンケートでは、病名・病状・将来の見通し・
治療方法などすべて説明(告知)を希望する人(家族は反対でも)
は、73%おられるそうです。また、告知された人の90.7%は、
告知されてよかったと答えておられるそうです。ただ、共に
100%でないということは、告知することが、すべて良いと
いうことにはならず、デリケートな問題であるということが
わかります。

浄土真宗では、「死」をどうとらえるのでしょうか。私のいのち
は、「死」で終わるのではなく浄土で仏に生まれさせていただき、
仏のいのちとして生かされていくと聞かせていただきます。

ちょっと、極端な言い方かもしれませんが、生きていること
だけがありがたいのではなくて、死んで仏に生まれさせていた
だくこともありがたいのです。私たちは、生きていること、
健康であることがすばらしいという価値観をもってはいないで
しょうか。死んだり、病気をしたら役に立たないというように
考えていることはないでしょうか。

もともと生きているとは、老・病・死をかかえていることで
あり、いわば、生まれた時にだれもが、すでに「死」の告知は
受けているわけです。

ガン告知は、先ほども書きましたようにデリケートな問題
です。現実、自分や家族がこの状況になるとどうするだろうか
と思ったりします。

だからこそ浄土真宗のおみのり(生死を超えていく道)を聴聞
させていただき、重ねて、日ごろから妻と「死」について語り
合っていきたいです。毎日の「生」を大切にし、そのときが来た
らお互いそのままを話して、一緒におみのりを喜んでいこうね
と私は妻に伝えました。
                   
コーナー表紙へ
 
Home