クミコさん&Ericさん わたしのホームページを読んでくださってありがとう。 メールをいただいて、うれしかった。(^^) 充分なお答えにはならないかもしれませんが、とにかく お答えいたします。再質問は、いつでも何度でも待って いますね。 一般に民族宗教は、人間の自然な欲望を肯定して、外に 向かってバランスをとろうとします。つまり、自分の周り の環境をかえることで幸せをねがっていくことです。これに 対して、仏教は内に向かう教えです。つまり人間の自然な 欲望を否定(自分自身を問題とする=取り違えないでください。 人とのかかわりや自分のおかれている社会的状況も含んだ 自分自身を問題にする。)します。仏教は、苦しみの 本質(原因)が外にはないと教えてくれるのです。 たとえば、クミコさんがおっしゃるように『悪がまかり通って 人々の権利が奪われる』ということを仏教に照らしてわが身を 振り返ると、「私は悪ではないのだろうか。」「人々を踏みつ けて生きていることはないだろうか。」「縁(えん)さえあれば、 私だって人殺し(独裁者)になることだってあるのではないだろ うか。」と教えられるのです。 もちろん、だからといって開き直って「どうせ私は悪でしかない、 なにをやってもいいのだ。」ということにはなりませんよ。 自分自身のいのちのあり方を見つめることなしに世の不正をなくそう としていく(戦う)ことが、本当に私たちにできるのだろうかと いうことです。戦いに勝った人はある意味独裁者ではないので しょうか。そうやって、ますます自分自身の欲望を深めることには ならないでしょうか。 自分自身に目を向け、人間のもつ苦の本質や悲しみに気がついたとき にはじめて、外への力強い動き(生活)となっていくのではないかなぁ とわたしは思います。 それでもクミコさんは、仏教が遠い存在に思えますか? 浄土真宗でいえば、正しく生きようとするが、なかなかそう生きられ ない私を、いつでもどこでも問い聞かしてくださる阿弥陀如来がいる ことほど、身近なことはないと思いますが…。 とり急ぎお答えしましたが、充分ではないところもあるでしょうね。 また、ご質問くださいね。それから、クミコさん&エリックさんの学ぶ カトリックの教えについても教えてください。私も勉強したいです。 それでは、さようなら。 Shin