法事(法要)

○法事の意味
 法事とは、仏法の行事のことです。仏事とも法要ともいいます。

 法事といえば、一般には死者への追善供養のための行事と思われていますが、
 浄土真宗では、法事は追善のための供養ではありません。

 浄土真宗の法事は、命日をご縁として、亡き人を偲びつつ、お経(仏法)をいた
 だく日です。つまり、「南無阿弥陀仏」とお念仏して、阿弥陀如来や諸仏の願いを
 聞かせていただき、今の私の生きかた・毎日の生活を振り返らせていただくため
 のものです。

 だから、単に形式だけで済ますとか、会食の席に終わってしまうことでもあり
 ません。 会食される場合も、せめてこの日だけでも精進料理にして、いのちの
 尊さを思い、たしなみ・つつしみの一日でありたいものです。

○法事の時のお仏壇の荘厳(しょうごん:おかざり)
 特に普段と違うことはありません。お仏壇の掃除は毎日することですが、法事の
 日は入念にされたら良いと思います。お供物(くだものなど)を供えたい時は、経卓
 (きょうじょく)の横に棚(机)を置いて、そこに供えるとよいでしょう。

○葬儀後の法事
 ご命日から49日間を中陰(ちゅういん)といい、古来、人が亡くなると次の生を
 受けるまで、49日かかると考えられていたことに起因していると思われます。
 中陰までの法事は、7日目ごとにつとめられる場合が多いようですが、きまりはあり
 ません。されないところ、35日と49日だけされるところ、7日ごとにお寺へ
 お参りになるところと、さまざまです。下の意味を聞かれ、ご住職に相談されると
 良いと思います。

○浄土真宗の中陰のいただき方
 浄土真宗は、私のいのちが終わった瞬間に、浄土で阿弥陀さまに等しい仏さま
 (諸仏)になると説きます。法事の場では、仏さまの願いを聞かせていただき、
 私自身のいのちのあり方(毎日を尊く、大切に生きているか)を振り返らせて
 いただくのです。だから、本来は毎日が法事でなければなりません。しかし、
 そうもいきませんので、7日目ごとの法事で、ご縁を結ばせていただきます。

 亡くなった日を1日と数え、7日目を初七日(しょなぬか)、14日目を二七日
 (ふたなぬか)、…以下49日目(七七日)を満中陰(まんちゅういん)と呼びます。
 また、百ヶ日目にも法事を営むところもあります。

○中陰における迷信
 「49日の法事が三ヶ月にかかるといけないのですか?」という質問をよく受けます。
 これは49日を始終苦(しじゅうく)とし、3ヶ月を身付き(みつき)、つまり
 「始終苦が身に付く」と、勝手な解釈をした、言葉のゴロ合わせ迷信です。

  苦といえば、私たちは生まれた時から生・老・病・死の四苦を背負って生きています。
 その四苦を超え、解決していく道(生死いずべき道)こそが、親鸞聖人の求められた
 道です。そして、それはまさに先のような迷信・俗信に迷うことのない無碍の一道
 (むげのいちどう:南無阿弥陀仏の道)なのです。

○年回法要(ねんかいほうよう)
 死亡翌年からのご命日に営まれる仏事を、年回法要といいます。亡くなった
 翌年の命日を一周会といい、次は亡くなった年を1として数え、3回会、7回会、
 13回会、17回会、25回会、33回会、50回会、100回会まで行われる
 ことが、一般です(地域によっては、23回会や27回会、37回会などをする
 ところもあります)。

○初盆
 死亡からの初めてのお盆を迎えるときに、初盆の法要をされるところもあります。
 このとき、祭壇はつくりません。お仏壇に普段どおり荘厳をします。浄土真宗の
 法要は、亡き人を供養するためだけではなく、私自身の聴聞(仏法を聞く)の場です。
 亡くなった人を追慕すると共に、報恩の思いのなかに真実のみ教えを聞きましょう。
 家庭の仏壇やお墓だけにお参りするのでなく、お寺の法座に参加して法話を聞きましょう。
 浄土真宗のみ教えのかなめは、「聴聞(ちょうもん)」です。
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