信(しん)を獲(う)れば見(み)て敬(うやま)い
大(おお)きに慶喜(きょうき)すれば、即(すなわ)ち
横(おう)に五悪趣(ごあくしゅ)を超截(ちょうぜつ)す。

さて、ここからは他力の信心にそなわる四番目の利益です。
  
阿弥陀如来のご本願(心)をいただいた人は、のとき(その瞬間)
五悪趣(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)の迷いの世界をえて
仏になる身のしあわせをぶ生活をさせていただくことができると
いうことです。

大慶喜は、私に大きな喜びがあるということよりも、その喜びを
起こさせる阿弥陀如来の大悲の広さ・深さをあらわされています。

また、というのは、竪(じゅ)に対することばで本願他力のことです。
竪というのは、竪(たて)の道、つまり自力修行のことです。

節のある竹から虫が外に出るとき下からずっと節を破って頂上に
でる(自力の修行の譬え)よりも、竹の横の皮を一枚破って外に出る
ことが、ということ。すなわち他力の信心です。

このことは、楽をして幸せになるということを意味しているのではなく、
人間の理屈や修行によって積み上げていく学識では煩悩の殻は
なかなか破って行けないこと、本当の幸せに到達することが難しい
ことを意味しています。

の字は、よこざまと読み理由のないことに使う字です。
「義(理由・理屈・はからい)なきを義とする」と言われる他力の姿を
よくあらわしているご文です。

コーナー表紙へ Home 次へ