さて、前回は浄土真宗のみ教えについておおまかに書きましたが、「この私をお浄土に救う」ということを、もう少し具体的に書いてみたいと思います。

浄土真宗の救いは、「往生浄土」です。『歎異抄』のお言葉をいただきますと、「本願を信じ念仏申さば仏に成る」ということです。ただし、「往生浄土」にはふたつの意味があります。

ひとつは「即得往生(そくとくおうじょう)」つまり、信心をいただいたその時に「正定聚(しょうじょうじゅ:必ず浄土で仏に成る仲間)」に定まるということです。もうひとつは「難思議往生(なんじぎおうじょう)」つまり、往生即成仏のことです。

「浄土で仏に成ることを現生(げんしょう:生きている今)に決定してくださる、つまり、正定聚という仲間をいただく人生を歩むことができる」ということです。このことは、わたくしの生きている意義であり、また最高の喜びであります。

親鸞聖人も信心をいただくと、正定聚に定まることも含め、現生に十種の利益(りやく)を獲得できると、お示しくださっています。

@冥衆護持(みょうしゅごじ)の益
  あらゆる神も念仏の人を護(まも)るということ、つまりこちらから神に願う必要がなくなるということ。
A至徳具足(しとくぐそく)の益
  いつでもどこでも阿弥陀如来に願われているということ。
B転悪成善(てんあくじょうぜん)の益
  「渋柿(しぶがき)の渋がそのまま甘みかな」の詩を味わってみてください。
C諸仏護念(しょぶつごねん)の益 
D諸仏称讃(しょぶつしょうさん)の益
  諸仏とはいわゆる先祖のこと。諸仏から護られほめられている私であるということ。先祖を私の方から願ったり祭ったりする必要がなくなるということ。
E心光常護(しんこうじょうご)の益
  阿弥陀如来の光明に常に照らされているということ。私の居るところ・行くところをはっきりさせていただくということ。迷信に迷う必要がなくなるということ。
F心多歓喜(しんたかんぎ)の益
  自分の人生にうなずき(喜び)を与えてくださるということ。
G知恩報徳(ちおんほうとく)の益
  自我が破られて報謝の生活ができるようになるということ。
H常行大悲(じょうぎょうだいひ)の益
  人に喜びを伝えていける利他の行ができるようになるということ。
I入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)の益
  @〜Hまでは、この入正定聚の益を展開したものです。

これらの利益を聞かせていただくと、わたし自身が全く反対の生き方をしていることがよくわかります。掲示板でも以前答えましたが、「正定聚という仲間をいただく人生を歩むことができる」とは、言い換えると、「救われない(ゆるされない)自分が見えてくる」ということにもなるのでしょう。

さて、これらの救い(果)をいただくには、阿弥陀如来の信心を得ることが第一(因)です。信心は、ただ阿弥陀如来が本願を起こされた理由を疑いなく聞くことあるのみです。

この真実のおみのりに出遇うことが、わたくしの生まれてきた意味でもあると思います。

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