仏法 2

私たちは、なぜ生きているのだろうか。と、考えて
みます。

多くの人は幸せを求めて生きていると思います。
(わたくしの勝手な思い)
私たちにとって幸せとは、家族、財産(お金)、健康
の円満に他ならないでしょう。ある意味、これを
よりどころとして生きているようです。

しかしよくよく考えると、どれひとつとして私の
本当のよりどころとなってくれるものはありません。
(みなさんも考えてみてください。私たち人間は
これらに振り回され、ひとり死んでゆく身ではないでしょうか)

私達がよりどころとしていても、老・病・死の前に幸せはくずれ、
わたくしの生は、ひとたまりもありません。
つまり、老・病・死を超えていく道を見つけなければ、生きること
は何ひとつ解決できないのです。

今よりどころとしているものが崩れたとき、私達は生きる意味が
ますますわからなくなるでしょう。そのために自らのいのちを絶つこと
になる人がいるかもしれません。また迷信に執着し、いっそう
生に迷うことになる人もいることでしょう。

さて、たったひとつよりどころとできそうなものが、この娑婆(しゃば)
世界にもあるようです。それが、宗教(信仰)かと思います。
さて、「宗教をよりどころとする」とはどういうことでしょうか?
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